2002年5月5日日曜日

受験戦争が構造改革を阻む?





2002.5.5
今日はこどもの日。粽を食べて菖蒲湯だったかしら。あまり昔のことだから忘れてしまった。でもこどもの日ということで、教育について考えてみたい。このホームページの付属掲示板で教育問題が話題になって、とても楽しいおしゃべりだったんだけど(掲示板もときどきのぞいてくださいね)、そのなかでちょっと気になったことがあった。日本の教育システムが日本の構造改革を阻んでいるんじゃないかと思いついたわけ。もし本当だったら、これは深刻だね。一つの仮説だけれど、聞いてくれますか。

まず、今の受験中心の教育システムだけれど、その評価については議論が分かれるね。詰め込み教育こそ問題だから、もっとゆとりを持たせたカリキュラムにするべきだとする意見がある中で、それに反対する意見もあります。散人はどちらかというと現在の中等教育というのは相当いい線をいっていると思っている。若いうちは「ゆとり」なんって言わさずにがんがん詰め込みをするべきだよね。だって知識がないと考えることすらできないもん。考える力を付けさせる意味でも知識の詰め込み教育は意味がある。子供が「ゆとり」なんて言うのは10年早い。そう信じていたんだけれど、詰め込み式受験勉強もちょっと問題かなあといま考え直しはじめている。これは教育それ自体の問題と言うより、この教育(受験)システムがもたらす日本の経済社会への影響についてなの。

ご承知の通り、現在の受験戦争は相当激しいね。親も大変みたいだけれど、子供はもっと大変。かなりハードな勉強を相当期間続けなければ「いい大学」に入れない(らしい)。子供は遊びたい盛りだから、ふつうの場合、勉強はいやがる。それを親(特に母親)が無理矢理勉強させる。それ自体は大変結構なんだけれど、馬にニンジンのたとえじゃないけれど、子供にニンジンを見せびらかして勉強させるみたい。飴と鞭かな。「勉強しないとお父さんみたいにいつまでたってもうだつが上がらないよ」とかいうらしいから。それは致し方がないところもあるから、父親としては甘んじて許容するにしても、問題はニンジン(飴)の方ね。子供が「いい大学」にさえ潜り込むことができれば一生いい暮らしができる、今だけの辛抱よと教え込んで、子供がまたそれを信じてしまうらしい。

実際はそういうことはないんだけれど、そういう競争に一応勝ち抜いてきた日本社会のいわゆる中堅層(サラリーマンやお役人)は、あれだけしんどい受験戦争を勝ち抜いたんだからそれなりの「見返り」が生涯にわたって保証されて当然と考えるようになるみたい。その「見返り」というのが現行システムで享受できるいろんなフリンジベネフィットだと言うことであるからして、現行システムが変わってしまうと困ったことになる。「話が違う」という事態はどうしても避けなければならない。だからいかなる改革にも抵抗するものすごい保守的でマッシブな階層が大企業のサラリーマンを中心に形成されていくことになる。これはきっと受験指向の現在の教育システムのもたらす一番ネガティブな結果だと思う。

企業にはびこる体育会系のメンタリティーが、この「みんなの利益を守るために仲良く一緒にがんばろう」の動きをさらに強固なものとする。企業経営は当然「従業員第一主義」となりガバナンスが利かなくなる。諸悪の根元だな。

日本の中等教育制度は確かに世界に誇れるものがある。でもそれは所詮中等教育でそれ以上のものじゃない。一番の問題は、その子供のゲームのような中等教育での勝者に人生の特急券を渡す(と見なされている)現行の受験選抜制度。その意味で今般の中教審が発表した中間報告で、専門職養成のための文科系の大学院教育の充実を訴えたのは、ちょっと遅かったけれども、非常によかった。人生の特急切符というものがもしあるなら、それは子供にではなく大人になってから与えるべきで、その数ももっと少なくすべきだろう。大学生も大学院にはいるために勉強するようになるし、へんな選民意識もなくなるはず。

でもこういうことに真っ先に反対するのが、すでにシステムに潜り込んでいるいわゆる「エリート」たちなんだなあ。自分の立場がなくなると思うらしい。あなたもそうですか? やはり受験戦争が保守的な大量の「エリート」を作り出すという散人の仮説は当たっているみたい。